大体でいいときの木曽殿入門〜ざっくり独断偏見編〜




Q・木曽ってそもそも誰よ

源平もとい平安時代末期の武将。木曽次郎源義仲。「木曽」でも「木曾」でもいいっぽい。
平家物語の中ボス的ポジ。だいたいの人が国語教科書で触れてて 忘れたかインパクトを受けたかのどっちかになる。


Q・呼び名が色々あってよく分からんのだが

木曽が名字で源は氏。 木曽に領地持ってるので木曽って名乗っていた源さん一族の人(次男=次郎)ってことらしい。幼名は駒王丸。
古典だと官職で呼ばれてたりして尚一層ややこしく、だいたい木曽義仲で通ってる。
ここでは義仲様だの殿だの木曽さんだのと好きに言っているけど、当時「義仲」って名前部分を呼べるのは彼より身分上の人だけらしい。
ややこしいので創作内では普通に名前で呼ばせてますので信じんといて!


Q・何をした人なの

当時政権を握ってた平家の皆さんを実際に都から追い出した張本人。
鎌倉の頼朝さまと同時期位に挙兵、先に都に乗り込んで一時的には中枢を押さえていた。
若作りお爺さま斉藤実盛との挿話や、倶利伽羅峠の戦いなどが有名。 倶利伽羅では松明つけた牛で駐留してた平家を谷へと追い落とした伝承がある。平家物語だと普通に馬で奇襲だった。
都では朝廷最凶の法皇様・後白河院といざこざあって孤立し、 最終的に頼朝軍の範頼&義経軍団に都を追われて討ち取られてしまう。 その最後辺りのやりとりを書いてるのがお馴染み木曽の最期で ヘタレっぽさ儚さが大変愛しく、 ぶっちゃけ部下の巴御前と今井兼平に活躍もってかれている。だがそれがいい。


Q・人となりが気になる

ごく小さいときに親戚頭領争いで父上を殺されて、自分も殺されるところをこっそり木曽に逃がされてきた。 そして木曽の豪族・中原家に預けられて成長、元服。
挙兵までの20年以上は木曽でのんびり暮らしてたっぽい。ちゃんとした資料がない。
当時としては画期的な戦略で劣勢からボロ勝ちしたりと評価あり。でも海上戦は平家に思いっきり負けてるザ・山育ち。
入京以降は都の治安維持に失敗したせいもありボロクソな評価を受けることも多々。 略奪荒廃の主導者みたいな言い方すらされるけど、文献で見る限りはそれなりに治安維持に頑張ってたらしい。 平家一門と同じくスケープゴートされてる面はある。 ので地味に再評価や復権も行われている。熱心なファンに松尾芭蕉とかいる。
一般には元気いっぱい女好きの脳筋体育会系イメージ。酷いと山猿とか言われる。 粗野かつ素朴、単純かつ無邪気と平家や鎌倉方と対比されやすいキャラ。 でも平家物語ラストの甘えっこぶりと乙女っぷりは粗暴な一般イメージを容易に覆す破壊力。
よくスルーされてるけど実は美形設定。色白の清げな美男子らしい。


以下付け足すかも

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